ゲーテの『野なかの薔薇』と「自然」に生きるということ

●♪わらべは見たり~という文豪ゲーテ作詞の『野なかの薔薇』のメロディ
が田の面を渡り、筑波山を背にしたNPOの畑(茨城県石岡市)に聞えてき
ます。午前11時半の町内放送です。もう昼かぁ・・・と週末ファーマーは腰を
浮かし顔の汗を拭います。気がつけば空高く、揚雲雀が転げるように舞い囀
っています。風が優しく頬をなでていきます。得もいえぬ心地よい一瞬です。
●これだから私は週末農業をやめられないのです。「自然の中」で味わうこの
気分は何ものにも換え難いです。この気分を味わうこと、かつこうした人間ら
らしい感性を持ち続けることが、ささくれ立った時代を生きるには欠かせない
栄養剤だと思っています。
●『野なかの薔薇』は、ドイツのゲーテ(1749-1832)作詞・シューベルト
作曲(ウェルナー作曲もある)の日本人に良く知られた名歌です。ゲーテは、
「自然に帰れ」と説いたフランスのルソー(1712-1778)の少し後に生まれ、
その影響を強く受けた(同時代の作家や哲学者はみな影響を受けた)みなさん
ご存知の文豪。その代表作『若きヴェルテルの悩み』は、ゲーテ青年期の書簡
体の恋愛小説ですが、主人公ヴェルテルが恋人を思う熱情が痛いほど胸を撃ち
ます。また「自由」に生きることの基盤を「自然」に置くヴェルテルの自然観
もじんわりと。自然観はすなわちゲーテのものですが、ルソーの『エミール』
を想起させます。次をお読み下さい、『エミール』が思い出されるでしょう?
●第一の巻、六月二十一日、の一節・・・。
朝になるとぼくは日の出とともに家を出てヴァールハイムへ向かい、そこの
畑で自分のためのえんどう豆をわが手で摘み、腰を下ろし、莢の筋をとりなが
ら、その合間、合間にホメロスを読む。小さな台所に入り込んで鍋を選び、壺
からバタをすくい取り、莢えんどうを火にかけ、ふたをして、そばに坐り込み、
万遍なく火がまわるよう時どき鍋をゆさぶってやる。・・・・・・
自らの手で育てたキャベツを自らの食卓に運ぶ人間の単純にして素朴な歓び
を、わが胸に感ずることができるのは、何と心休まることだろう。その時彼の
味わうのはキャベツだけではない。その芽を植えた美しい朝、それに水を与え
た愛すべき夕べの数々、そして次第に育ち行くのを眺めて喜んだ良き日々のす
べて――彼はそれらの朝と夕べと日日のすべてを、ただひとつの瞬間のうちに
再びみな味わいかえすのだ。(集英社。柴田翔ほか訳)
● ゲーテは、83歳まで生きました。この間、7年戦争(1756~63)、アメリカ
独立戦争(1775~1783)、フランス革命(1789)、そしてナポレオン時代を経て、
7月革命(1830)など、世界史的な大動乱の時代を生きました。こうした時代
だったため、彼には自然思想が必要だったのかもしれません。
彼はとにかく人生を懸命に生きた、若いときから超努力家であった。そうした
ことが人物伝を読めばよくわかります。生活も折り目正しく、「時計より正確」と
隣人たちが称したといわれるほど時間通りに散歩をしたのは良く知られています。
それなのにまったく姿が見えない時期があったそうで、そのとき『エミール』を
読んでいた、というのは有名な話です。そして、ルソーの虜になるわけです。
作詞をしたゲーテに対しルソーは作曲をしていて、童謡『むすんでひらいて』
はその代表作の1つです。彼らの多才ぶりに脱帽、いや、努力に脱帽というべき
でしょうか。               (5/3 宮崎記す)