♪第41回月例会報告(5/19)

【5月例会レポート 『赤い花白い花』の感動】

5月19日(火)。5月例会を藤沢市労働会館で行いました。前夜から朝へかけ雨が続き心配しましたが、昼前あたりからどうにか持ち直し、お陰で120人を超えるご参加がありました。
この日は、41回目の月例会。新入会者も1人あって、ちょうど370番目の会員となられました。嬉しいことです。
冒頭の代表挨拶でいつものように新入会の方のために、「会の目標は身近かにある童謡や愛唱歌を普段に歌い、かつ楽しく歌い、それを通して元気・勇気・生き甲斐・健康長寿を掴み取ること」であると、申し述べました。
そして続けました。「湘南童謡楽会のような文化活動は、深い充実感と確かな生き甲斐感を感じるものでなければならず、さらに結果として、活動が健康につながるものでないといけません」「願わくば会の雰囲気からそういったことが感じ取れ、まろやかな包容力といったようなものがそこはかとなく漂う、心休まる会であることが理想であり、皆さんとともにそこを目指して行きましょう!」と。

この日の歌唱指導は久しぶりご登場の常任指導者・根來加奈さん、ピアノ伴奏は岡田真歩さん。実に息の合ったパフォーマンスを見せて下さいました。
根來さんの、薀蓄のあるトークを交えたスピード感豊かな、当意即妙の歌唱指導で、テキスト『愛唱名歌』から15曲ほどを歌いました。二度歌いあり、輪唱ありで、あっと言う間の2時間(休憩を除き正味は100分)、会場ではどなたも(歌って)完全燃焼といった風に見えました。
みんなで歌った曲のうちで、特に(私にとって)印象深かったのは、中林三恵さん作詞・作曲の『赤い花白い花』でした。曲誕生の秘話が根來さんから紹介されましたが、このレポートを書くに当り、インターネットで調べ、根來さんの話を再確認した上で、その秘話の概要を以下に書いておきます。

1960年代の初め頃。一人の女の子(中学生か高校生ごろか)が群馬県山田郡毛里田村(現在の太田市)の田舎道を散歩しながら「♪あーかいはーなーつーんーでー」と口ずさんでいた。女の子は、中林三恵さんその人で、彼女は『草原情歌』という歌が好きで、そのイメージもありそれを口ずさんでいた。
その後、彼女は群馬大学に進学、1964年秋に大学で「クラブ対抗コーラス大会」が行われ、彼女が所属する美術部で『赤い花白い花』を歌ったところ、それが群馬大学の学生の間に広まった。学生を通して歌は人から人へと伝わり、北海道の歌声喫茶などで歌われた。やがて「赤い鳥」のメンバーに知られるところとなり、1969年、毎日放送ラジオ「MBSヤングタウン」という番組で取り上げられ、「作者を知っていますか?」と呼びかけられた。すると、群馬大学の学生がそれを聞き、同年11月、中林さんに手紙で伝え、作者が中林さんであることが確定することとなった――というのです。

1970年、「赤い鳥」がシングルのB面でレコード化し、全国的に知られるようになり、以来、「ビッキーズ」「紙ふうせん」「ハイファイセット」「山本潤子」「チェリッシュ」「ダ・カーポ」「芹洋子」さんらがレコード・CD化したそうです。
中林さんは現在、群馬県前橋市で版画を職業にし、趣味で曲作りもしていらっしゃるそうで、自らホームページ(HP)も開設しておられます。私もHPを覗いてみましが、「中林三恵」で検索すると、いろんな情報が得られます。

ロマンに満ちたエピソードですね。機会があれば、中林さんにお会いしてみたいと思わされます。エピソードを知っただけでも十分ハッピーですが。
シンデレラ・ソング/シンデレラ・ガールになってみたい! 旨のトークを根來さんがなさいました。me too(シンデレラ・ボーイに)です。心に浮かんだメロディを口ずさむ――そこからスタートですね。
我々のテキスト『愛唱名歌』には、“素敵な宝”が詰まっていることに改めて気付かされた5月例会でした。

(文責:宮崎)

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