安らぎ・元気・生甲斐を、音楽で!
<「あすの日本を創る協会」発行の冊子「まち・むら」(12年1月号)の巻頭言に書いた宮崎のエッセイです。一部手直しし掲載します>
昨年10月末から11月へかけて10日余の日程で友人2人と私達夫婦でオーストリアに出かけた。音楽の都・ウィーンにアパートを借りて滞在し、音楽三昧をしようという旅であった。70歳が近くなり、人生後半をどう生きるか、音楽に浸かりながら考えてみようというのが私なりの目的だった。
4人は、超オペラファン超ウィーン通の50歳過ぎのITテクノロジストMさん、今春から東京芸大大学院に進む同大器楽科の若き女性オーボエストTさん、それにクラシック音楽ファンの私達夫婦である。
私達について一言すれば、人々が日々の暮らしの中で童謡や愛唱歌を歌い、<歌や音楽で安らぎ・元気・生甲斐を得る>ことを願い、市民同好会「湘南童謡楽会」をさる10月に立ち上げ、公共のホールに会員が集まり歌唱指導者と一緒に歌を歌う月例会を始めたばかりで(既会員100人)、この音楽運動の方向性も探ってみたいと欲張っていた。
音楽三昧の第1弾は、到着翌日朝のウィーン楽友協会でのウィーンフィルのコンサート。公開練習的なコンサートだったが、豪華絢爛の会場は1700人ほどで満杯、ブルックナーの交響曲第7番の一級の演奏に沸いた。正装で着飾った大人の観客に混じり会場前列には100人ばかりの中学生らしき一団が陣取ったが、Mさんが「よく目にする光景です。たぶん授業か学校行事でしょう」と解説してくれた。
第2弾は1日おいた日の夜、国立オペラ座でロッシーニの歌劇「セビリャの理髪師」の鑑賞。こちらも正装した市民たちが6階までの2200席ほどを埋める中、私達は3階のボックス席で貴賓気分を味わった。フロア最奥の低料金の立見席は若者らで溢れ、そのざわめきに市民各層が普段にオペラを楽しんでいることが窺えた。隣りのボックス席から上演中ずっとご婦人達の屈託ない笑い声がドイツ語の歌が分かるのだろう、聞こえ続けて微笑ましかった。
第3弾はそれから2日後の午後、同じ国立オペラ座でベートーヴェン唯一のオペラ作品「フィデリオ」である。劇場は超満員、私達は舞台に一番近い2階のボックス席。ベートーヴェンに寄り添うつもりで聴き入りカーテンコールではみんなで「ブラボー」を舞台に投げた。フィデリオはウィーンで初演されたことから特にウィーン市民に好かれていると言われる。会場にどよもすブラボーの中にいて、そのことに共感する私がいた。またこの夜、深い感動の余韻が眠るまで私の全身を満たしていた。
休憩時間、観客はロビーでビールやワインを飲み観賞談に花を咲かせ、次には帰途、劇場近くのレストランで食事をするのも楽しみの一環のようで、店はどこもごった返していた。文化の奥の深さと言うべきか。ハプスブルグ家の中近世を通しての芸術の庇護(モーツァルトなど)もあったとして、人々が音楽を愛し楽しむ生き方を築き上げてきた長い歴史を思い、「音楽」がこよなく愛おしく思われた。
以上は、旅行出立前にインターネットで前売り券をゲットしたものだった。ウィーンには国立劇場のほかにも中小のオペラ劇場が多数ある。その中の人気劇場フォルクスオパーで窓口券を買い、滞在最終日の夜、第4弾としてビゼーの歌劇「カルメン」を鑑賞した。券は前日早朝にゲットしたが、そこには5歳ぐらいの幼児が母親と一緒にお利口さんに並んでいた。ああ、こうやって子供たちも音楽と向き合って育っているのだと納得した。
これらのライブ鑑賞のほか私達はウィーン市内のベートーヴェン・ハウスやモーツアルト博物館を訪ねたし、ウィーンで活躍した作曲家たちの像80体があるという中央公園も訪ねて像をなでた。ベートーヴェンが交響曲第6番「田園」を作曲したという、かつては葡萄畑だったという森と小川の残るベートーヴェン小路を歩いたのも貴重な体験となった。偉大な作曲家の生き様をたずねたことが「フィデリオ」を鑑賞する際、一音一音を聴こうとする鑑賞心を呼び覚ましてくれた気がしたものだった。
ヨーロッパの精神史を思うとき例えば一人、最も芸術を思索し続けた「生の哲学者」ショーペンハウアーを想起する。「苦悩に満ちた世界」で彼は音楽を精神の栄養剤とみなし毎日、昼食前に30分フルートを吹いたそうだ。
音楽で佳き精神を保つ人生――。ウィーンの旅は私にそのことを確認させてくれた。
ウィーン近郊のドナウ川を抱くバッハウ渓谷のワイン蔵に行くと、ヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」が流れていた。何という心地よさか!と「湘南童謡楽会」の進路を確信した一瞬だった。