コトコトコットン、と行きましょう
高齢化時代がいろいろ語られますが、ただ、なにかどろっとした、重たく厄介な難問というニュアンスで語られることが多いように感じられます。私いま68歳。その印象は私だけのものではないでしょう。私よりもっと年配の「元気高齢者」たちは、そんなニュアンスで語れば「どうぞ、ご心配なく」と品よく受け流すか、よれよれ・もたもたは誰のこと? 知恵も気力もないのは誰? と反撃するに違いありません。
「湘南童謡楽会」という童謡・愛唱歌を会員みんなで歌う月例会の代表を務める者として、あまたの70歳、80歳代の年配者たちを見ていて、そう感じるのです。毎月スキップするように楽しげに来場し、心にしみる歌詞とメロディをもつ童謡・愛唱歌10数曲を歌い、スッキリした顔で帰途につく多くの年配会員さんたちには、どろっとしたとか、重たいとかいった感じは微塵もありません。
3月の会で最も心に残った歌は、『森の水車』(清水みのる作詞・米山正夫作曲)でした。昭和16年の歌です。コトコトコットン、コトコトコットンのリフレインのある、あの歌です。この3番に「もしもあなたが怠けたり 遊んでいたくなった時 森の水車の歌声を 独り静かにお聞きなさい コトコトコットン~」とあります。めったに3番は歌わないので、凄い歌詞だなと改めて思いつつ、しみじみと歌ったものでした。
私なんかの怠け者には、自己鞭撻にいい歌だな、なんて思わされましたが、勤勉さが自然と身についている年配の会員さんたちには、納得の歌詞だったかもしれませんし、あるいは襟を正された人もいたかもしれません。いずれにしろ、この歌詞にいっそう元気をもらわれたのは間違いないでしょう。
エネルギーが心配の、いや心のエネルギー不足が心配のニッポンですが、わが会員さんたちは”私らはいつもいつまでも「森の水車」を回していくよ”としゃきっとおっしゃるはずです。1人漏れなく、そういう心意気なのだと私は確信しているのです。
コトコトコットン、と行きましょうぞ、ご同輩。