♪音楽の陽だまり 野口雨情について(14年11月号月報より)

■今月前半に歌う童謡3つ――『赤い靴』『青い眼の人形』『七つの子』は、野口(のぐち)雨(う)情(じょう)作詞・本居(もとおり)長世(ながよ)作曲の童謡の名曲。曲の「赤い」「青い」という色、そして「七つ」という言葉をよく噛み締めて歌ってみて下さい。
野口雨情・本居長世のコンビによる曲であることも、頭の隅に留め置くといいですね。
■野口雨情のプロフィル・・・・・・『日本童謡事典』(上笙一郎編、東京堂出版)やWikipediaによる。
本名英吉。詩人。童謡・民謡作詞家。童謡では北原白秋、西条八十とともに童謡界の三大詩人と呼ばれる。
作品には、野口雨情作詞・本居長世作曲の『赤い靴』『青い眼の人形』『七つの子』『十五夜お月さん』ほか
野口雨情作詞・中山晋平作曲の『しゃぼん玉』『兎のダンス』『雨降りお月』『証城寺の狸囃子』
『たわらはごろごろ』『黄金虫』『あの町この町』。
童謡以外では、同コンビによる『波浮の港』『船頭小唄』がある。
1882(明治15)年、茨城県多賀郡北中郷村(現・北茨城市)の名家(廻船問屋と伝えられる)の長男に生まれる。
東京専門学校(現・早稲田大学)に入学し坪内逍遥に師事するが、1年余りで中退、詩作を始める。19歳。
数年後、父の事業失敗と死により帰郷し家業を継ぐ。栃木県の資産家の娘と政略結婚させられる。23歳。
このころ酒に溺れたらしいが、詩作に打ち込む。家庭を飛び出し、事業で一旗挙げようと樺太に渡るが失敗。再び上京し三木露風、相馬御風らと詩社を結成したりし、今度は北海道で新聞記者に。「小樽日報」では一時、同僚の石川啄木と交友を結ぶ。北海道では六つの新聞社を転々とする。この間24~27歳ごろ。25歳のとき、女児が誕生、1週間ほどで亡くなり、その悲しさを『しゃぼん玉』に詠んだとされる。
その後、母の死、最初の妻との離婚を経て36歳で再婚。その間、故郷で植林事業をしたりし、再婚後、意欲的に創作を開始する。1920(大正9)年、「金の船」(後に「金の星」に改題)の選者になる。38歳。
同誌上で童謡を次々と発表、本居長世や中山晋平の作曲で名曲が産れる。「赤い鳥」童謡運動と連動し、童謡作家の地歩を築いた。1935(昭和10)年、日本民謡協会理事長に就く。1945(昭和20)年、死去。享年62。

(以上 文責:宮崎)

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