代表メッセージ(13年秋 10月9日)
【三味線「一中節」家元の、音楽の音についてのプロの1つの意識】
音楽についていろいろな側面を追究している私の探究心の針先に、ガクッとひっかかってきたビッグな魚がありました。表題の、三味線の源流といわれる「一中節」の家元・都一中さんの、音というものに対する感覚についての話です。
湘南童謡楽会の月例会の毎月の配布資料(お便り)として13年9月号に書いた私の一文を、そのまま記載します。面白いハナシです。
<0.0何秒先かの音、そして何十年に一度の体験>
先日の台風18号には参りました。9月15日。茨城県筑波山麓の、「NPO食と農」(私宮崎が理事長)が管理する栗園へ、栗拾いに招いた東京の生協の一行40人がバスで到着するお昼まで、朝から豪雨が降っていて、大いに悩んでいました。ところが12時ごろその雨がぴたっと止みました。予定通りにイベントを実行でき、「こりゃあ奇跡だ」と大喜びしました。続いて翌16日、鎌倉の建長寺で東日本大震災復興支援のコンサートが予定されていました。まだ台風による風雨が昼ごろまで強く残っていて、主催者「連福プロジェクト」の皆さんも私も大いに気をもみました。しかし開会の2時ごろぴたっと止み、再びの幸運に恵まれたのです。
物事、なるようになる(何とかなる)と考える楽観主義の私ですが、何十年に一度の希少な出来事でした。
さて、16日のコンサート。出演のお一人は、三味線音楽の源流といわれる「一中節」・十二世家元である
都一中(みやこ いっちゅう)さんで、浄瑠璃師の次男都了中さんと「一中節 鉢の木」を演じられました。家元は冒頭の挨拶で台風に触れ、「私は全然心配していなかった。こうなると信じていました」と飄々と口にされました。その理由が奮っていました。含蓄に富む特上のハナシでした。何十年に一度の。
家元は、三味線の練習を毎日毎日続けておられる。「音楽の練習は、0.0何秒か先の次の音を頭で思いながらやります」とおっしゃる。ほほう。初めて聞く音楽認識ですが、分かるような気がしました。
「0・0何秒先かの意識は2時間とか3時間単位とかへ延長してみても同じです。先のことを、念頭においています。16日には何があっても演奏する。そう思い定めていましたから、15日から16日にかけてどんなに台風が吹き荒れようと、コンサートをやるんだ、やれるんだと確信していました。主催者は電話で気をもんでおられましたが、私はまったく心配していませんでした」。
それにしても凄い。凄い「覚悟」だと頭を垂れました。思うに毎日毎日、何があっても練習を休むことなく技を磨き、同時に心も鍛える積み重ねがあって、この境地に到達されたのだろうと想像しました。一技芸者としての、いや一人の人間としての「覚悟」の強さを思いました。「鉢の木」の三味線を演じられるその姿が、いやが上にも美しく高貴に見え、その音色に引き込まれました。
私のような単なる楽観主義とは別次元の、物事の理解があるのに気付かされました。
都一中さん、有難うございました。台風18号、有難う、とも言っておきましょう。